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永遠の0 (講談社文庫)/百田 尚樹

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こんばんは。岡本大輔です。
昼の紹介を大掃除でうっかり忘れていたので夕方の紹介になりました。
平成25年最高の一冊を紹介します。
※ つまりは再編集・再更新です。
↓↓↓
















【出会い】
ザ・本屋さんマネージャー高橋智信さんからお借りしました。高橋さんのオススメです。ありがとうございます。


【本書紹介のねらい】
~Amazonより~

「娘に会うまでは死ねない、妻との約束を守るために」。そう言い続けた男は、なぜ自ら零戦に乗り命を落としたのか。終戦から60年目の夏、健太郎は死んだ祖父の生涯を調べていた。天才だが臆病者。想像と違う人物像に戸惑いつつも、1つの謎が浮かんでくるーー。記憶の断片が揃う時、明らかになる真実とは。

大東亜解放戦争は私たちに何を伝えるのか……?


・今、挑戦できないあなたへ。

・行動できないあなたへ。


あなたには可能性がある!

【気になった抜粋】
カミカゼを撃つのも次第に辛くなってきた、標的はクレーじゃない、人間なんだ、もう来ないでくれ! 何度そう思ったかわからない、しかしやって来れば撃つ、そうしないと俺たちが死ぬからだ。

「あんたは学校で何を習ってきたんだ。世界の歴史を学ばなかったのか。人類の歴史は戦争の歴史だ。もちろん戦争は悪だ。最大の悪だろう。そんなことは誰もがわかっている。だが誰も戦争をなくせない」。

わしらは平時の安全飛行の訓練をしているのではない、ぎりぎりの場での命のやりとりをする訓練をしているのだ。それにしても実戦に勝る訓練はない。

戦場にあって、「生きて帰りたい」だと――、毎日のように戦友が未帰還になり、それでも皆が必死で戦っている中で、自分一人が助かりたいとは、どういう神経だ。

当時は戦地に行く前に急いで結婚するということもままありました、戦死するかもしれない前に、せめて結婚させてやりたいと親や親戚が考えるのでしょう。

何千人が玉砕した戦闘であっても、あるいはたった一人の戦死者を出した戦闘であっても、遺族にとってみれば、他にかけがえのない家族を失ったことは同じなのです。

「戦争は一人で戦うものではありません。時には自分を犠牲にして戦わねばならないこともあるのです」。

国のために命を捨てるのは、日本人だけではありません、我々は天皇陛下のためという大義名分がありました、しかしアメリカ人は大統領のために命は捨てられないでしょう、では彼らは何のために戦ったのか――それは真に国のためだったということではないでしょうか、そして実は我々日本人もまた、天皇陛下のために命を懸けて戦ったのではありません、それはやはり愛国の精神なのです。

「私みたいな仕事をしている女を理解してくれる男性はなかなかいないのよ。男性にとっては、誰と結婚しても人生に大きな違いはないでしょうけど。女にとって、結婚は全然比重が違うのよ。言うなら一番大きな就職問題よ。だってそうでしょう。どんな男と結婚するかで、これからの仕事のやり方と生活が決まってしまうのよ。慎重に選ぶのを打算って言えるの!」。

戦闘機乗りにとって、空戦の経験こそが最大の勉強です、ただし学校での勉強と違うところは、学び損なうと死ぬことです、学校の試験では失敗しても落第するだけですが、空戦の場では、落第は即、死を意味します。

「死ぬのはいつでも出来る。生きるために努力をするべきだ」。

「戦争というのは、工場の時点から戦いは始まっているのですね」、「はい、一機の飛行機を飛ばすのは多くの人の陰の努力があると思います」。

海軍の下士官いうのはたいてい農家の口減らしで入って来た連中です、農家の次男坊以下に生まれたモンは、都会に丁稚奉公に行くか、軍隊に入るしか生きる道はなかったんです、中学へ行けるのはほんの一握りの子供だけでした。

「日本は戦後、素晴らしい復興を遂げました。それは、生きること、働くこと、そして家族を養うことの喜びに溢れた男たちがいたかこそやと思います。ほんで、この幸せは、宮部さんのような男たちが尊い血をながしたからやと思います」。

特別攻撃隊は「神風特別攻撃隊」と名付けられた、カミカゼではない、その時は「しんぷう」と読んだ。

多くの日本人には人を哀れむ心があり、暖かい心を持っていた、自分が生きるのでさえ大変な時にも人を助けようとする人がいた。

日本は民主主義の国となり、平和な社会を持った、高度経済成長を迎え、人々は自由と豊かさを謳歌した、しかしその陰で大事なものを失った、戦後の民主主義と繁栄は日本人から「道徳」を奪った――と思う、今、街には、自分さえよければいいという人間たちが溢れている、六十年前はそうではなかった。

二月の終わり、私たちはすべての教育課程を終えました、わずか一年足らずの短い教育期間でした、かつての予科練の教育期間が二年以上でしたから、いかに私たちが速成だったかがわかります。

「B17はドイツ空軍の激しい迎撃にあい、毎回四十パーセント以上の未帰還機を出したのです。アメリカ軍の兵士たちもまた勇敢にドイツの空に突入しました。B17の搭乗員の戦死者は五千人を超えているのです。この数は実は神風特攻隊の戦死者四千人を上回るものです」。

戦後、文化人やインテリの多くが、戦前の日本人の多くが天皇を神様だと信じていたと書いた、馬鹿げた論だ、そんな人間は誰もいない、軍部の実権を握っていた青年将校たちでさえそんなことは信じていなかっただろう。

「武蔵は生涯に何度か逃げている。それに、もう一つ――武蔵は勝てない相手とは決して戦わなかった。それこそ剣の極意じゃないか」。

【響いた抜粋と学び】
著者の百田(ひゃくた)さんは同志社大学中退。放送作家として人気番組「探偵!ナイトスクープ」など多数を構成。2006年、本作、『永遠の0(ゼロ)』で作家デビュー。高校ボクシングの世界を感動的に描いて’08年に発表した小説『ボックス!』で圧倒的な支持を集め、一躍読書界注目の存在となります。他の著書に『聖夜の贈り物』、『風の中のマリア』があります。


海賊とよばれた男 上 [単行本]
海賊とよばれた男 下 [単行本]
のベストセラーも記憶に新しい百田さん。平成25年に582冊読み解いた僕の中の年間ベストに選びたいと思います。
紹介してくれた高橋智信さん、ありがとうございます。

ちなみに、現在劇場公開中です。


わしも空戦以外の機銃掃射をしたことはある、しかしいずれも高射砲台や艦船相手の銃撃で、丸腰の人間を撃ったことは一度もない、それは卑怯者のすることだと思う。


源平合戦の山場……屋島の戦いで(出典がさだかではないですが)、源義経が平家の船を操縦する武器も何も持たない舟夫を真っ先に切りかかり、大勝したということを思い出しました。
昨年、その記事を読んだ時に、日本人の精神として、丸腰の相手に切りかかるのは武士道に反すると感じていました。

抜粋には出していませんが、物語の後半でこのときのことが別の視点で書かれています。戦争は戦闘機が行なうのではない、人間だ、と。だから、たとえ丸腰だろうと人間を狙わなければいけない。生き延びてしまえば今度はまた狙われる、それが戦場だ、と。

深く納得でした。戦場において、「心」を超越するものがあるのだ、と僕は感じたのです。

なぜ「零戦」と呼ばれたか、ですか、零戦が正式採用になった皇紀二六〇〇年の末尾のゼロをつけたのですよ、零戦の正式名称は三菱零式艦上戦闘機です。

零戦の真に恐ろしい武器は航続距離が桁外れだったことです、三千キロを楽々と飛ぶのです、広大な太平洋上で戦うことを要求された戦闘機だったからです、海の上では不時着は死を意味します、だから三千キロもの長い距離を飛び続けることが必要だったのです。


「八時間も飛べる飛行機は素晴らしいものだと思う。しかしそこにはそれを操る搭乗員のことが考えられていない。八時間もの間、搭乗員は一時も油断は出来ない。我々は民間航空の操縦士ではない。いつ敵が襲いかかってくるかわからない戦場で八時間の飛行は体力の限界を超えている。自分たちは機械じゃない。生身の人間だ。八時間も飛べる飛行機を作った人は、この飛行機に人間が乗ることを想定していたんだろうか」。

僕は本書を読むまで「零戦」とは一番最初に出来た戦闘機だから「零」だと思っていました。でも、やっと理由がわかりました。

零戦は皇紀二六〇〇年に完成した伝説の名機なのです。
当時一〇〇キロ程度が限界だった航空機において三〇〇〇キロを走行できる戦闘機です。

零戦は開戦当時無敵の航空機でした。零戦を発見したら逃亡してもよい、という命令が敵国に下っていたのです。

このあたりを読み解いていた時僕の脳裏をあのシーンがかすめました。機動戦士ガンダムのア・バオアクーの決戦です。学徒兵が白い悪魔と恐れられていた連邦の怪物ガンダムの前に無謀にも現れるのです。
「な、なぜでてくる!」
「あっああああ、ひ、火が! か母さん!」

めちゃめちゃ残酷なところをサラッと出しちゃうんだよね。大東亜解放戦争の末期に生まれた富野さんはどうして、こういう部分を描けるのか……。
僕にとってはララァとアムロのシーンより鮮烈だなぁ。


敵国にゼロの異名で恐れられていた零戦ですが、その素晴らしさが仇となるのです。人間の限界を超えた操縦を余儀なくされた搭乗員は潰れていくわけです。

零戦は工場や機械が発達した現代を凝縮させているようにも感じます。機械の素晴らしさに人間がついていけない……機械を使いこなせなくなってしまっているのです。

軍人でも死にたくないという気持ちはあります、人なら当然です、しかし軍人はそれではいけないのです、人は人間社会で生きていくのに多くの本能や欲望を制御して生活していくように、軍人は「生きたい」という欲望をいかに消し去ることが出来るかが大切だと思っています。

死を覚悟して出撃することと、死ぬと定めて出撃することはまったくの別ものだった、これまでは、たとえ可能性は少なくとも、一縷の望みをかけて戦ってきたのだ、だが特攻となればもう運も何もない、生き残る努力もすべて無駄なのだ、出撃すれば必ず死ぬ。

「どんな過酷な戦闘でも、生き残る確率がわずかでもあれば、必死で戦える。しかし必ず死ぬと決まった作戦は絶対に嫌だ」。

朝、指揮所の黒板の搭乗員割に名前がある時が死ぬ時だ、名前がなければ、命が一日延びる、その日はいつ来るかわからない、名前が書かれた日、人生は終わる、それがどんなに恐ろしいものだったか――。

「断じて行なえば鬼神もこれを避く」という言葉がありますが、十死零生は、その覚悟を超えたものでした。

神風特攻隊の心境を描写してくれています。可能性がある限り……かすかに残る「生きたい」という誰もが持っている欲求を断たれ”国のため”と死にに行った人たちのことを考えると辛すぎです。

可能性がゼロ……生存確率ゼロ%です。頑張ればなんとかなる、ではなくて最初から死ぬことが目的です。

飛行学生たちは全員「志願する」を選びました、しかし後に、当初、何人かは「志願しない」としたらしいと聞きました、志願しないと書いた人たちは、上官に個別に呼ばれ、説得を受けたようです、当時の日本の軍隊における上官の説得というのは、これはもうほとんど命令と同じです、現代でも、果たして会社や組織の中で、自分の首をかけて上司に堂々と「NO」が言える人たちがどれほどいるのでしょうか、私たちの状況はそれよりもはるかに厳しいものでした。

しかし今、確信します「志願せず」と書いた男たちは本当に立派だった――と、自分の生死を一切のしがらみなく、自分一人の意志で決めた男こそ、本当の男だった思います、私も含めて多くの日本人がそうした男であれば、あの戦争はもっと早く終わらせることが出来たかもしれません。


ビジネス書作家の千田琢哉さんが「サラリーマンの極刑なんてしょせんクビ」と書いていたことを思い出しました。
あの時代は断ることができなかった。サラリーマンのクビは志願兵にとって死刑のようなもの。特攻で死ぬのか死刑になるのか……。

現代を振り返れば、どんな失敗もどんな命令もそのほとんどがやり直しが効くじゃないか!
さぁ、挑戦しよう。

あの時代、挑戦すらできなかった、可能性のないことをやらされていた人たちがいる。
僕たちは挑戦できる、何度でもやり直すことができる!


ここまでお読みいただきありがとうございます。


今年1年、ブログのご愛顧ありがとうございます。新年一発目も早朝4時に更新です。大切な一冊を紹介しますね!
来年からもよろしくお願いします。

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