こんにちは。岡本大輔です。
昼の紹介はこちらです。
※ 本日は最近検索上位のこちらを再更新です。
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飛鳥新社
発売日 : 2010-11-27
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【出会い】
帯広図書館の自己啓発コーナーで出会いました。なんとなくタイトルが気になりました。
※ ヤフオクで不用品を出品しているからかな?
【本書紹介のねらい】
~本書帯・抜粋より~
「なにもないこと」へのすさまじい欲求! すっかり感染し、いろいろ捨てはじめました。
無駄が嫌いなんです、スッキリしたいだけなんだと思うんです、使い切らなくても、全然ものを捨てられます、私の判断基準はいるかいらないかだけです。
さぁ、自宅の不用品、ありとあらゆるものを捨ててみよう!
※ できるかな?
【響いた抜粋と学び】
著者の中崎タツヤさんは漫画家で1992年、「問題サラリーMAN」で文藝春秋漫画賞受賞、代表作「じみへん」は1989年より「ビッグコミックスピリッツ」にて連載中です。
一般に漫画家というと、部屋がごちゃごちゃしていて、アシスタントに囲まれて、日々締切に追われている印象がありますが……。
仕事場にものを置きたくないのは、仕事に集中したいという気持ちもあるからです、パソコンをインターネットにつなげているとよけいなことに目が向いてしまう、携帯電話も辞書がわりにも仕えて便利だったんですけれど、ついついインターネットにつないだりして遊んでしまいます。
信じられないことに、中崎さんの仕事場はホント何もないんですね。部屋についていたガスコンロすら押入れにしまってある状態……ホントは捨てようと思ったようですが、備え付けのものですからね。
パソコンも捨てて、携帯も仕事場に持ち込まない、テーブルに辞書、老眼鏡、消しゴム、ペンケース、定規、デスクペン、筆ペン、製図ペン、修正ペン、シャープペンと最小限度の道具しかありません。
これは集中できそうですね。実際、勉強机に漫画があるとついつい手が伸びるんですよね。勉強に集中するためには勉強道具以外のものを置かない、というのが鉄則です。
僕も書評を書くのに集中するときはiPhoneの電源を切ることがあります。
ハンバーガーとコーラを買おうと思ったのですが、それぞれ単品で買うよりもセットメニューのほうが安かったんです、で、セットを頼もうとしたんですが、フライドポテトが付いてくる、フライドポテトはカロリーがすごく高そうですし、もともとジャガイモはそんなに好きではないので私はいらないと思ったんです、ですから、セットにしてもらってポテトはいりませんとお願いしてみたんですけれども、やっぱりそういうことはできないと店員さんに断られました。
ここ、ちょっとうけました。そこまでしてポテトがいらんのかい、というのと、カロリー気にするならマックに入るなよ! とツッコミを入れました。確かに単品よりセットの方が安いんだよなぁ。
抜粋のことを実現するためには自分でポテトを処分しなければならないようです。
※ これはできないだろうなぁ。
中学生になると、科目ごとにノートを取るようになります、教科書は仕方がないけれど、学校に各科目ごとにノートをもっていくのは、すごく煩わしかったんです、それで、なぜノート一冊ではいけないんだろうと、ずっと考えていてバインダー式ノートにすればいいんだと思いついたわけです。
長女の小学校では……というかほとんどの小学校ではルーズリーフは禁止ですよね? あれはなんでかな? って思うんですよね。というのは、僕自身小学生の頃にノートを読み返したことなんて一回もないんですよ。ノートがバラバラになるとか読み返せない、とかそんなの教師の都合だけで、子供にとってはなんの不便もないと思うんだけど、どうでしょうか?
逆にノートをバラすよりも、ルーズリーフに一冊にまとまっていれば忘れることないからいいんじゃないの? って思うんだけどなぁ。
ゴミ屋敷の住人はお年寄りが多いようですが、将来に対する不安があると思います、何でもとっておかないと不安で、捨てることができない、ものがない、ものを大事にしてきた世代の人には、ものを捨てることに抵抗がある人も多いでしょう、ものを過剰に集める人たちは、私と裏表の不安や恐怖によってためていくのだと思います。
ケアマネジャーをやると、このようなケースには一度は出会うはずです。このような方と出会って話してみると、話がまとまっていなかったり、漠然とした不安を感じていたり(若干うつ傾向だったり)、精神状態は健全ではないな、と感じます。中崎さんの話すことはかなり的を得ていると思います。
ゴミ屋敷の主人たちは一様に、自宅にたまったものはゴミではないといいますが、本当の気持ちでしょう、他人からみてゴミでも、当人にとってはゴミではないのです。
学生時代、訪問介護の実習に一度行ったことがあります。そこで担当の職員から言われたことがあります。
おもむろに職員はティッシュを一枚手に取り、くしゃくしゃにして床に捨てました。そこで僕にこう言ったんです。
「岡本君、これを見たら利用者さんに何て言う?」
僕は考えました。そして正直に伝えました。
「『このゴミは捨てておきますか?』と言うと思います」
すると、担当の職員は教えてくれました。
「これは誰がゴミだと決めたんだい?」
僕はその言葉の意味がわかりませんでした。だって、床に置いてあるくしゃくしゃになったティッシュがゴミ以外の何だと言うんだろう? と僕は思ったのです。
担当の職員は続けました。
「もしかしたら、くしゃくしゃだけどこれから使おうと思っていて、たまたま床に落ちているだけかもしれない。これをゴミと判断したのはあくまでも岡本君だよね?」
僕は言葉を出せず、ただ頷きました。
ヤフオクでも載っています。
「あなたの不用品は誰かの欲しいものかもしれない」
まさにその通りで、自分にとってはただのゴミにしか見えなくても他者にとっては必需品かもしれないのです。
介護現場でも、特にデイでは作品作りをして、スタッフの目から見て、不出来だったと思われるものを片付けたり、処分したり、して後になって
「せっかく作ったのに職員に捨てられた」
と話す方もいらっしゃるようです。
これも、スタッフの一方的なモノの見方が誤解を生んでいるんですね。
だから、最後に一言、確認する必要があるんです。
「こちらの作品はどうしますか? 持ち帰りますか? それともこちらで片付けてもいいですか?」
本人に確認する10秒を惜しんで誤解を与えていてはもったいないわけです。
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飛鳥新社
発売日 : 2010-11-27
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