おはようございます。岡本大輔です。
本日の紹介はこちらです。
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【出会い】
帯広図書館の新刊コーナー(?)で見つけました。
小林よしのりさんと言えば僕らの世代では「ともだち〇こ」で有名なおぼっちゃまくんの著者でもあります。
あの小林よしのりさんがこの内容を?
※ 2年前から読書会の仲間に「ゴーマニズム宣言」はすすめられており、ようやく読みました。すすめてくれた佐藤さんありがとうございます。
【本書紹介のねらい】
僕たち日本人が知られざる「国史」を学ぶ。昨日までの紹介はこちら。
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「八月十五日」は終戦記念日ではなかった/古川愛哲
歌集 小さな抵抗――殺戮を拒んだ日本兵/渡部良三
【気になった抜粋】
東条英機……「勝者の裁判はうけたくない。勝者の勝手な裁判を受けて、国民の処置を誤ったら国辱だ」、開戦当初、勝ってた時は「我らの東条さん」と、庶民にも人気だった東条だが……終戦後は日本一悪評の人だった、負けたとたんに国民は手の平を返した。
昭和18年11月、東条を議長にアジア各国代表を集めた大東亜会議が開催され、大東亜宣言を採択した、現地の日本軍の行動に批判的な者もいたが、自国を苦しめている最大の敵は米英白人による搾取と人種差別であるという認識では一致しており、「大東亜戦争はアジア解放のための戦争である」という理念の宣言には大きな意義があった。
「君が生き残っても、僕についてはすこしも弁解してもらいなくない。僕はただに絞首の辱めを受けるだけでなく、永遠に歴史の上に罵りの鞭を受けなければならないからである」(東条英機)。
1953年に定められた遺族援護法では、旧敵国の軍事裁判で有罪とされた人は日本の国内法では罪人とみなされないという判断基準が明確に示された、これにより「A級」も「BC級」もなく、日本から「戦犯」は消滅したのである。
【響いた抜粋と学び】
著者の小林さんは僕と同じ30代であれば誰もが覚えているであろう「おぼっちゃまくん」の著者です。
コロコロコミックで連載されていました。当時PTAで「子どもに見せたくない番組」の上位に入っていました。
小学校から高校まで僕たちが習ってきた「日本史」の裏側に着目してみましょう。
まずは昭和16年12月8日、何の日かご存知ですか? 僕はお客様に聴かれ応えられませんでした。
「これだから今の若いもんは……」
お客様はつぶやきました。
「じゃあ、昭和20年8月15日は?」
そうです。終戦記念日です。つまり昭和16年12月8日は開戦の日です。
東条は戦争回避のため首相になった、だがすでに世論も開戦論が大勢だった、極限まで譲歩した甲案、乙案に対するアメリカの返答は全面降伏を迫るに等しいハルノートだった。
後にパール判事は「ハルノートのようなものを受け取れば、モナコやルクセンブルクのような国でもアメリカに対し武器を持って立ち上がったであろう」と断じた。
僕たちが習ってきた「日本史」では……僕の理解では、日本が満州事変を起こし、国際連盟を脱退して、戦争に踏み切ったと覚えています。
※ ハルノートについてネットで調べましたがあらゆる情報が出ており、判別困難なため詳細は載せません。
東条英機さんが戦争回避のために尽力したことを誰も知らない。日本が戦争をしたくなかったことを誰も知らない。
近衛文麿……「このまま東条に政権を担当させておくほうがよい。戦局は、誰にかわっても好転することがないのだから、最後まで全責任を負わせるようにしたらよい」。
東条が首相になった時には、もう誰が首相でも開戦も敗戦も避けられないにっちもさっちもいかない状況だった。
あなたが昭和16年当時、首相だったなら開戦は避けられましたか? 東条さんを日本政府を悪者にする前に考えておきたいところです。
東条は戦争の途中で更迭されている(サイパン玉砕後に総辞職)。
中国は現在、東条を極悪人と非難するが、登場は満州事変・支那事変の開戦決定には何も関わっていない、昭和15年に陸相になるまで、政治には関わったこともない。
1931年満州事変、1937年支那事変、1941年大東亜戦争の時の内閣が全部違う。
このあたりの歴史は実際に習ったのだろうけれど、覚えていません。教師のみなさんは近代から現代を教えるのを嫌がっていたような印象があります。
駆け足授業だった気がします。
東条英機さんはヒトラーやムッソリーニのように戦時中ずっと政権をもっていたわけではなかったのです。だから、東条さんが戦争の全責任者と言われても困るんですね。
残念ながら未だに戦争を「犯罪」とする法律は存在しないのだ、「法なければ罪なく、法なければ罰なし」、これはアメリカ憲法の第一条にも定められている法治主義の根本原則である。
第一次大戦後欧米諸国は「戦時国際法」で「交戦法規」を定めた、①一般住民、非戦闘員に危害を加えてはならない、②軍事目的以外を攻撃してはならない、③不必要な苦痛を与える残虐兵器を使ってはならない、④捕虜を虐待してはならない。
なるほど。戦争に犯罪の定義も何もないのです。「戦争が違法です」と明文されたものが国際的には存在しない。存在しないものを裁くことはできません。
下の抜粋をよくご覧くださいませ。①~③については日本は沖縄上陸や東京大空襲、原爆投下など一般住民が犠牲になっています。
アメリカの攻撃は戦時国際法を違反していると受け取れますね。
※ ④についてはどの国にも捕虜の虐待の事例は報告されているようです。
僕が詳細を知らない「東京裁判」についてです。
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いわゆるA級戦犯の処刑日は12月23日、GHQは、現在の天皇、当時の皇太子の誕生日をわざわざ選んで処刑を決行したのである。
戦勝国の戦争犯罪人は誰一人して裁かれなかった、敗戦国の「戦争犯罪」だけが裁かれた。
パール判事……「勝者によって今日与えられた犯罪の定義に従っていわゆる裁判を行うことは敗戦者を即時殺戮した昔と、われわれの時代との間に横たわるところの数世紀にわたる文明を抹殺するものである」。
マッカーサーは「東京裁判」の終了から2年も経たない1950年、トルーマン大統領に「東京裁判は誤りだった」と告白したという。
敗戦国、日本は二度と欧米諸国にたてつかないように、見せしめ裁判をやらされた、というのが著者の見解のようです。
(このあたりの判断は個人で行ってください。僕はあくまで書いてあることを抜粋し、自分の感想を書いています。あなたが何を信じるのかはあなたの自由です)。
さきほど、戦争に犯罪はないとありました。ということは、裁判事態がありえないことなんですね。だってそうでしょう? 法律を破ってないもの。にも関わらず、戦勝国から一方的に裁かれてしまったわけです。
敗戦国というだけで裁かれたわけです。裁いた人の中には中立国だったはずなのに、終戦間際になって約束を破って進軍してきたロシア人も入っていたようですよ。なんとまぁ。
で、最後のマッカーサー元帥の発言。「誤りだった」って告白された時には何人もの命が失われていますよ。それで終わりですか?
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