おはようございます。岡本大輔です。
本日の紹介はこちらです。
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講談社
発売日 : 2011-12-16
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【出会い】
6月29日、十勝地区社会福祉士会初となる読書会が開催されました。そのときの課題書籍です。ザ・本屋さん
で購入しました。
※ 6名が参加し、書籍から感じ取った意見を出し合い、学び合いました。
【本書紹介のねらい】
~本書抜粋より~
「社会的包摂(ソーシャル・インクルージョン)」とは、従来の貧困の考え方をより革新した「社会的排除(ソーシャル・エクスクルージョン)」に相対する概念で、平たくいえば「社会につつみこむこと」である。
この震災を機に常日頃の生活において、すべての人が包摂される社会を構築しなければならないからである。
本書は、どのようなショックにあっても、人々の暮らしを守るセーフティネットを構築していかなければならないという願いを込めて執筆された、本書で論じる「社会的包摂」とは、災害時だけでなく、平時においても社会政策の基本的な理念となる考え方である。
経済大国日本における貧困問題とは何か? 貧困は日本に存在するのか? これからの時代に僕たち社会福祉士はどう実践するのか? 考察しましょう。
【気になった抜粋】
実際には、最低生活基準は、一般的な世帯の消費水準の約60%に設定されている敢行が1984年から続いているが、この慣行とて、国民の理解と合意のうえで設定されているとは言い難い。
働くことというのは、ただ単に賃金をもらうための手段というだけでない、働くことによって、人は社会から存在意義を認められ、「役割」が与えられる、働くことは、社会から「承認」されることなのである。
職場で「アルバイトさん」などと名前でさえも呼ばれず、人間関係も育まれず、不景気になればモノのように切り捨てられる、次の職に就いたときに評価されるような経験を得られることはない、このような職では、社会から「承認」を得たと感じることは、極めて難しいのではないだろうか。
【響いた抜粋と学び】
2007年の貧困率は15.3%、18歳未満の子どもに限ると14.7%であった、約7人に1人の国民が貧困状態にあるというこの数値は、日本には貧困が存在しないと考えてきた多くの人々に大きな衝撃を与えた。
「貧困」という言葉は、社会として「許されない」生活水準のことである、すなわち、「貧困」を定義することは、逆に考えれば、現代の日本社会において、どこまでが「許容範囲」の生活なのかを定義することである。
どの程度のことを日本において、貧困と指すのでしょうか? 僕が物心ついたときは衣食住が完備され、生活するのに何も困らない……僕の場合は両親が2歳の頃に離婚していました。それでも祖父母と母と4人で生活し始めて、僕はスイミングに通い、ピアノを習ったり、くもん式に通ったり、ミニバスケットボール少年団に入ったり……どれも小学校6年生の頃には辞めていましたが、何不自由ない生活ができていました。それが当たり前だと思っていました。
今にして思えば、母は仕事を辞めて30歳前に看護学校に入学し、祖父は公務員として働き、祖母は地元のスーパーの惣菜コーナーで働いていました。一所懸命働いてくれたおかげで僕は友達がやっている習い事をやることができました。
行きたくもない塾にも通うことができました(大人になってわかったけど、塾も高いですよね!)。
そして、月に1回以上は外食に連れていってもらっていましたし、おそらく他の家庭よりも物質的には恵まれていたのでしょうね。
そんな僕が改めて、「貧困」と考えると、よくわからないです。たとえば、小学校のときにみんながプーマやチャンピオン、アディダスのジャージーを着ている中、HEADだとか比較的値段の安いジャージーを来ている同級生がいて、よくからかっていた、というのは記憶に残っています。
子供社会は残酷なもんです。
今の我が家だったら、アディダスやアシックスのジャージーは頻繁には買えないですね。
日本の多くの人が持っている「貧困」のイメージは、食べ物にも事欠いており、衣服もボロボロである、といった、発展途上国の難民や、終戦直後の日本の状況であるという、このような、生きることさえ危うい状況のことを「絶対的貧困」と呼ぶ。
一方で、2011年の現在、たとえば、クラスで一人だけ給食費が払えない子どもがいる状況は、どうであろう、みんなが同じ給食を食べているとき、その子は一人、家から持ってきた塩おにぎりを食べているとしたら、これが相対的貧困である。
ここで言う「絶対的貧困」の状態は日本では稀ではないか、と思います。現代日本において衣食住がままならない、という状態は少数なはずです。
※ セーフティネットにのらない状態の方はいるということです。
それに対して、相対的貧困というのは多いと思います。先述したジャージーの問題もそうです。現代で言えば、携帯電話を持てるか持てないか、というのもそうじゃないか? と社会福祉士会での読書会でも話し合いました。
昔で言えば、最新のゲーム機やソフトを持っているか持っていないかで子ども同時のコミュニティーに入れるかは入れないかが決められるし(戦術の同級生はもちろん入れなかった)、もっと上の世代であれば、テレビが自宅にあるかないかで、友達とテレビ番組の話題ができるかできないかが決まります。
子供社会ですから、話が合わない奴とは集まらないし、寄せ付けなくなります。怖いなぁ。
【何が絶対必要か?】……「医者にかかれること」(89%)、「歯科医にかかれること」(87%)、「電話」(88%)については支持率が高く、80%以上の人々が「絶対に必要である」としている。
国民皆保険の日本だからこそ、医療を受けられることを当たり前と思っているんじゃないのかな? と僕は感じます。以前、社会人バスケットをやっていたときのことです。一緒のチームに整形外科の医師がいました。夜7時~9時の練習中にも彼の電話は鳴りっぱなしです。
救急外来の電話を終えた彼はボヤキました。
「夜中にちょっとした怪我ですぐ医療受けられるなんて恵まれすぎなんだよ」
僕は同感でした。電話だけではどれくらいのケガかわかりません。本当に緊急で手術しないと肢体不自由になるのかもしれません。
しかし、緊急で医療を受けられることは……しかもそれは一般庶民が、ものすごく特殊なことだと感じます。豊かすぎるのかもしれません。恵まれすぎているのかもしれません。
私は独身時代、よく週末に、たいした仕事もないのに職場に行った、同じような経験がある読者の方も多いのではないだろうか、そこに自分の名前がついた机があり、自分の持ち物が置いてあり、そこに何時間座っていても誰も文句を言わない。
僕じゃありませんが、以前の職場でいつまでも帰らない人がいました。朝はみんなより早くいて、自分の机に座っていました。仕事があるのか、ないのか定時過ぎても立ち上がる気配はありません。夜勤の日も同じです。なかなか帰りません。夜勤明けで眠たくないのか?
しかも、シフト上を見ると、その先輩は仕事が休みの日にも朝からいるのです。
なぜ? なかなか帰りません。
さらに、その先輩は有給休暇を取りました。何か用事があるのだろうか?
僕はその日出勤でした。やっぱり先輩は出勤(?)していました。何をしていたのでしょう?
仕事をしていなかったのは確かです。
自分の居場所に戻ってきたのでしょうね。
驚くべきことは、明らかに格差の大きい州ほど、人を信頼する人の割合が少ないことである、この傾向は、設問に異なる文言を使った調査でも、国ごとのデータでも、同じ国の時系列のデータでも確認できる。
人が人を信頼しない社会では、暴力が蔓延する、殺人率と所得格差は驚くほど正の相関がある、アメリカは、突出して殺人率が高いが、それ以外の国々ではほぼ直線状にデータが並んでいる、やはり、格差が大きい国であるほど、殺人率も高いのである。
格差の大きい社会ほど、女性の地位が低く、社会進出が遅い、不平等な社会においては、男性間の競争が激しく、より攻撃的で「男らしい」ことが評価されるようになるからである、この傾向は、男女格差だけに留まらない、格差の大きい社会ほど、人種や宗教などといったグループ間の対立が激しく、人種間の偏見の指数が高いのである、格差は社会の中で亀裂を作り、上下関係を強いるのである。
格差が大きい地域や国においては、社会的地位が低い者は自尊心を保つことが難しい、自尊心を傷つけられたことに対する反応として、暴力に走ってしまうこともある。
格差が大きい地域の人々は平均余命が短いのであろうか? その最大の理由は、おそらく、心理的なストレスであろう、現代社会におけるもっとも大きなストレス要因は、①社会的地位が低いこと、②人間関係が希薄なこと、③子ども期の(貧困)経験、であると言う、格差は、この三つのどれをも悪化させるのである。
格差の問題について、僕は一番本書で考えさせられました。
日本国勢図会〈2013/14年版〉/矢野恒太記念会
データでみる県勢(2013年版)/矢野恒太記念会
僕は上記2冊を活用して、詳細なデータをもとに考察しました。
格差が大きいほど殺人事件が多い……というところでは本書の図にあるように格差社会の筆頭に挙げられるアメリカが郡を抜いていました。
しかし、その一方でアメリカよりも下ではありますが、スウェーデンやフィンランドといった福祉先進国が日本より100万人あたりの殺人数が多いのです。
※ ちなみに先進国の中で日本が一番低いです。なんだかなんだ言っても日本の治安は抜群です。
日本国勢図会〈2013/14年版〉/矢野恒太記念会
を参照すると、アメリカの犯罪動向(認知件数)は1066万件弱です。日本は170万件弱ですから桁違いです(もちろん、人口も違いますが)。
ちなみに一番下の平均余命についてです。
平均寿命の国際比較……
シンガポール:男79.6、女84.3、
香港:男80.5、女86.7、
アイスランド:男79.9、女83.6、
イタリア:男79.4、女84.5、
スイス:男80.2、女84.6、
スウェーデン:男79.81、女83.70、
スペイン:男78.94、女84.91、
ドイツ:77.51男、女82.59、
フランス:男78.2、女84.8、
アメリカ:男76.2、女81.1、
カナダ:男78.8、女83.3、
オーストラリア:男79.5、女84.0
アメリカの数字と日本は大差ありません。平均余命で見ると、格差社会が平均余命に影響しているようには思えませんが……。
あくまで”平均”ですので格差の影響で、末端の人たちは平均余命が短く、裕福になるにつれ平均余命が長い、なんて数字があるのかもしれませんね。
もっと言えば、この平均余命で伝えたいのは、インドだとか中国だとかの階級社会があるところのことなのかなぁ。
人間は自分と似た社会的地位にある人と交流し、仲間意識を持ち、自分から離れた社会的地位にある人とは関係を持つことが少ないということである、格差が大きい社会においては、自分と離れた地位にある人々が増えるため、すべての人にとって信頼できる人が少なくなるわけである。
社会人バスケットをやっていたときに思っていました。僕らのチームのような中堅チームと上位チーム、下位チームの違いってなんだろう? ってことです。
プロスポーツチームでもなんでもいいんですが、強いところと弱いところで違うのは声がでているかでていないか、チームが結束しているかどうかなんです(当たり前だって?)。
強いチームであればあるほど、チーム内でしっかり声を出しているんですね。
弱いチームであればあるほど、声が出ていない。自分のことでいっぱいいっぱいで仲間のために声を出すことはないんです(その方法を知らない、というのもありえますが)。
格差においても同じだと思います。裕福層は裕福層で固まって、更に裕福になる。中堅層は中堅層で上に対してひがみ、下に対して優越感をもってなんとなく生きていく。そして、貧困層は貧困層で妬み続けていく……。
人はそれぞれの階級に自然と流れて集まる、そんな本質があるんじゃないか? と僕は思っています。
そこで信頼するかしないかは別問題に感じますが……。どうなんでしょうか。
【編集後記】
本日も休みです。次男と一緒に自宅周辺の公園散策です。たくさん遊びます。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
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「ザ・本屋さん」ではご自宅や勤務先へ本を配達してくれます。
配達地域……帯広市内(大正、川西除く)、札内地区(全域)、音更地区(大通・木野・希望が丘・共栄台・桜が丘・新通・鈴蘭・住吉台・柏寿代・東通宝来・北明台・北陽台・緑が丘・元町・柳町・雄飛が丘・緑陽台)
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